【切ない親心】我が子の運動会の思い出

子育て

我が子をこの手に抱いた瞬間から、大きな期待と不安に心が揺れることが多くなります。
熱くなったり失望したり・・・。
そうやって親として少しずつ成長もしていきます。
私は学校便りで正直に自分の子育て失敗エピソードも紹介してきました。
多くの保護者の共感を得ることができました。

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もう成人した息子が小学校1年生のとき、私は運動会を迎えるまでの数日間、テンションが上がっていました。
「同じレースに速い子がいるのか?」「1番になれそうか?」
などと何度も聞いていました。
公園でスタートダッシュの練習までさせていました。

満を持して、運動会当日は早朝からビデオカメラを抱えて“出陣”しました。
1年生のかけっこが近づいてくると、私の心臓の高鳴りは、最高潮になっていました。

スターターは高学年生児童でした。
スタートの瞬間、隣の子が大きくフライングをして、やり直しとなりました。
すると、あろうことか、息子がスタートラインにまだ戻っていないのにスタートのピストルが鳴ったのです。
息子は慌てて向きを変えて駆け出しましたが、順位はあえなく5位でした。
さらに、その後、信じられない光景を目にしたのでした。
3位までしか得点には数えないようで、4位以下の子は、そのまま児童席に戻らされたのです。
私は怒り心頭で爆発寸前となりました。
「だいたい、レースのスターターを子どもにやらせていいのか!」
「4位以下の子を得点集計の邪魔者扱いするとは何だ!」
運動会の保護者アンケートを通して、学校に強く抗議しようと思いました。

しかし、息子の帰宅後の第一声を聞いて、クレームするのをやめました。
「運動会すごく楽しかった! 全部楽しかった!」
私は愕然としました。
そこまで運動会を楽しんで頑張った我が子の姿を、自分は親としてどれだけ見とれていただろうか・・・
親としての未熟さを恥じました。

次の年から、ビデオカメラを持たずに運動会に行くことにしました。
すると、ファインダーの枠外の光景もよく見えたような気がしました。
高学年生の係活動での活躍、敬老席の方々の嬉しそうな表情、一日中動き回っている教職員の頑張り。

息子は結局、6年間1等賞を取れませんでした。
しかし、6年生になり小学校最後の運動会のときに、小柄でやせっぽちな息子が、きっと何かの間違いで白組の応援団長になってしまいました。
結果は大差で惨敗し、応援賞すら取れませんでした。
閉会式のとき、白組の先頭に立つ息子の目は潤んでいて、悔しさで肩が震えていました。
そんな貴重な経験をさせてもらえた学校に、今では感謝の気持ちで一杯です。

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