教員にとっての大きなストレスの一つが研究授業。若手教員は年次研修のプログラムで義務づけられています。
中堅、ベテラン教員も何年間に一度は研究授業を避けられません。研究授業はそもそも何のため?その必要最低限は何なのか。
そこに迫ることにより、教員の働き方改革を大幅に進めましょう。
ごたいそうな研究授業が教員を潰す
法的にも「教員は研究と修養に努めなければならない」と規定されています。
でも、従来の研究授業が、そもそも非日常的で無理があると思いませんか。
研究授業のストレスから体調を崩し、メンタルが疲弊するなんてことがあってはなりません。教員のウェルビーングになりません。
研究授業のそもそも論を見直して、「やってよかった!」「大きな負担にはならなかった」という取組にしたいですよね。
研究授業のそもそもの目的は
研究授業のそもそもの目的は次の2つに収束します。
(1)工夫した指導や学習活動の成果や課題の発掘
研究授業や研究発表には、チャレンジした要素が必ずあります。
授業者や担当分科会にとっては「主題に迫る手立て」がチャレンジです。
公開発表会を行った学校にとっては「仮説」や「システム」がチャレンジです。
取組の成果や課題が、実際の授業や子供の姿においては、どんな面で見出せたかを参加者全員で共同注視する機会が研究授業です。
(2)刺激やインスピレーションの獲得
参観した教員にとっては、研究授業や研究協議会から刺激やインスピレーションを獲得できます。
「○○先生も頑張っているな。自分も頑張ろう」
「自分もこんな授業をやってみたい」
「自分ならあの場面でこうする」
特に、校内研究会では「皆で高まっていこう」という空気感の醸成が図れます。
それが、学校経営や人材育成に好影響を及ぼします。
研究授業が大きなストレスになっている教員は、この「そもそも論」を誤解しているかもしれません。
「いい授業を見てもらう」「できるだけ子どものいい場面を見せる」という誤解です。
「自分は未熟だ」と自覚しているなら、未熟な授業でいいのです。
どんなに未熟な授業でも(1)(2)のねらいが達成できればよいのです。
指導案はA4紙1枚に
そもそも指導案は何のために作成するのでしょうか。
基本的には次を知るためです。
「その授業がどんな単元のどこに位置づく授業なのか」
「1時間の組み立てはどうなっているのか」
だとしたら、指導案はそれだけを満たせばよいのです。
・単元名
・ねらい(育てたい資質・能力)
・単元計画
・本時の授業(ねらい、展開、評価)
上記項目を掲載するには、A4紙1枚(片面もしくは両面)で十分ではないでしょうか。最も重要なのは「本時の授業」です。「ねらい」「単元計画」等は、教科書会社が作成したもののコピペで十分です。
「本時の授業」についてはコピペを元にしても、そこに自分の工夫した手立てをちゃんと書き込みましょう。
自分のチャレンジ要素を検討してもらうのが研究授業なのですから。
そんな手抜きな指導案では心もとない気がするかもしれません。
そこは、発想を転換してください。
指導案の作成自体は「コピペデータの微修正」でも、授業を振り返る視点はいくらでもあるのです。
・発問、指示、説明の指導言は的確だったか
・子どもの発言への対応は適切だったか
・活動時間は十分であったか
・教材の提示方法は効果的だったか など
因みに、後々調査研究したり、他の学校に広く追試してもらったりすることを目的とした指導案の場合は、ある程度詳しく書き込む必要はあります。
研究授業は世界に誇る日本の学校文化
研究授業のそもそも論に立ち返り、あまり頑張り過ぎないようにしましょう。
それがこの記事のテーマです。
私は研究授業などなくてよいとは思いません。
海外の学校には日本のような「研究授業」という概念がありません。
指導案を作成して、その実践の成否をガチでレビューするような研究協議会はないのです。
「日本の教員は校内で学び、アメリカの教員は学校外で学ぶ」と言われています。
海外の教員は、学校外で個人的に学ぶのが基本です。
日本の学校では、各学校の同僚性をベースにして、皆で一緒に指導力を高めていこうという伝統があります。
それが日本の教員の質の高さを支えていると言われています。
戦後の復興や驚異的な経済成長を実現できた秘密の一つが、日本の学校教育ではないかと海外からも注目されています。
今アジア、中東、アフリカの新興国は、日本の学校の校内研究をまねようとしています。日本人の教職経験者がその指導に関わっています。
日本の学校の校内研究は、世界に誇る学校文化です。そんな日本人教員としてのプライドも大事にしたいです。
だからこそ、旧式なヘビーな研究授業を見直してスリム化して、持続可能で意味のある研究授業に変えていきたいですよね。