いじめ防止対策推進法(2013年)の制定を受けて、素早く適切な対応が求められるようになりました。
しかし、学校がいじめ対応に疲弊している現状もあります。
なぜ学校がここまで疲弊してしまうのか。
その原因を考えます。
いじめの定義が広すぎる
いじめは被害者の救済が第一です。
できるだけ多くの懸案を吸い上げる必要があります。
いじめの定義のポイントは次になっています。
・一定の人的関係がある児童生徒が対象
・心身の苦痛を感じている
すごく簡単に言うなら「児童・生徒が“いじめられた”と言ったらいじめ」となります。
さらに、保護者が「うちの子が“いじめられた”と言っている」と訴えてもいじめの可能性事案として成立します。
いじめの問題は、日常の小さな懸案へのきめ細かさが重要なので、定義が広いことはいいことです。
しかし、この定義の曖昧さに学校が苦しんでいる面もあります。
被害者と加害者に単純化できない
いじめ問題では、児童・生徒を被害者と加害者に分けて対応します。
ここにも対応の難しさがあります。
子どもたちの人間関係は一定でありません。
そのトラブルの直前まで、被害者と加害者の立場が逆であることもあります。
お互いが加害と被害の両側面をもっているケースもあります。
そのため、加害者とされた子どもの保護者が「うちの子こそ被害者」と訴えてくるケースも多いのです。
そうなると、対応がカオスな状況となり学校は一層疲弊します。
困難を乗り越える機会を奪ってないか
いじめ防止対策推進法の対象は「児童・生徒」です。
小学校1年生の「いじわる」や「悪口」にもいじめが適応されることがあります。
しかし小学生のうちは、日常的なトラブルも学びの機会ではないでしょうか。
時には先生の力を借りて「ごめんね」「うん、いいよ」という仲直りを繰り返すことも大事な経験です。
ひとたびいじめ事案となると、保護者の他罰感情が収まらなくなります。
子どもたちの自然な学びの機会が奪われてしまう心配もあります。
まとめ
いじめ対応には悩ましい側面が多いです。
どの学校もいじめ対応に疲弊しています。
それでも、学校は今の社会のニーズに対応して、しっかりと踏ん張って取り組んでいることをご理解いただきたいです。
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